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こういう「頑張って耐えていれば、そのうち陽の目を見る」みたいな話が、才能もないのに当てもなく芸人を続けている人間を生み出し続けている。「10年やっても芽が出なければ諦めた方がいい」という趣旨でM-1の年数要件を作った島田紳助のように、突き放す姿勢も必要だと思う。
旧芸名「ほっしゃん。」のタレント、星田英利(47)が、不遇の時代を振り返り、若手芸人たちにエールを送った。
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星田は91年に宮川大輔と結成したお笑いコンビ「チュパチャップス」で頭角を現し、雨上がり決死隊やナインティナインら吉本興業の若手6組によるユニット「吉本印天然素材」に参加してアイドル的人気を得たが、99年に同ユニットが解散した後は仕事が激減。コンビも解散し、東京に進出してピン芸人として活動を始めたが、25日更新のツイッターで「29歳で上京して3年間で吉本からの仕事、たった4日よ、3年間で」と当時を振り返った。
「肉体労働とかバイト4つくらいかけ持ちしてもし今、事故で死んだら新聞に『世田谷区のフリーター、星田英利さん…』って載るのかなと思ったら悔しくて悔しくて。来ると信じてたワンチャンスのために爪を研いでた」と星田。そうした自身の経験から、吉本興業に対する不満を噴出させている若手芸人たちに「だから頑張れ若手」とエールを送った。